2023年3月31日 第21回
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「ありのままの」自分を受け入れたい。
「自分は自分でいいんだ」・・・ホントなのか?
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結論から言いますと、「ダメです」それでは何にもよくありませんし、はっきり言って周囲の人が迷惑なだけです。「自己肯定感」という言葉を自分に都合よく解釈しすぎです。
そもそも自己肯定がなぜ必要かというと、自己否定を続けるとそれは自死を選ぶしか選択肢がなくなる、人生の行き止まりだから、チャレンジし、成長し、生き抜くための自分の人生を切り開く根幹的精神をはぐくむために必要だからです。
だからいいたい。「今の自分を都合よく肯定するための道具」ではないです。
私の言葉で表現するとそれは「自分を否定するための一時的な肯定」に過ぎない・・・です。
つまり私たちが本気で成長しよう、未来を切り開こうとするとき「今の自分の力で十分!」って人は、ほんの一握りのスーパーマンだけでしょ。皆足りないし、その時その時で「ガツンッ」って現実を突きつけられて、学びをするんじゃないの?そう、それは自己否定の連続で、それがまた楽しいんだよ。
だから、そういう未来に一歩づつ進んでいくためにも、前に進む自分を作らなきゃいけない。否定しても潰されず、倒れても立上り、曲げられても折れない。そんなしなやかで硬く、硬い様で柔軟で、感情豊かで繊細なようで自己犠牲を厭わない強い精神を持たなきゃいけない。
そして何より長く続く「情熱」をもってほしい。この情熱こそが自ら自己否定させるんだ。
「まだだ!」
「こんなんじゃいけない!」
「なんとしてもあそこに到達するぞ!」
っていう感じで。人を何度も奮い立たせ、目的に向かう仲間を集め、そして失敗をものともせずに突き進ませる。それは情熱であり、好きであり、聖なる野望といってもいいのかもしれない。
だから結論に戻るけど、「今のままじゃダメだ!」そこに満足していては次のステージに行けない。
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「かまちょ」や「慰めてほしい人」
あなた自身は自分の部下になりたいですか?
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どうなんだろう?自分も自分の部下になりたいか考えたことはあまりないけれど、
最近ある講演家さんの話を聞いていて、ふと考えてみました。
取敢えず今のところは、私は自分の部下として働きたいか?と問われて「Yes」です。
まだ分からないですよ。変わるかもしれないし、だんだん怒りっぽくなるかもしれない・・・
でもそうであり続けたいと考えています。そして、本当にこれは世の中にリーダーたちに言いたい。また、私の中でも常々考えていること。それは「若い時に嫌だった年寄り」になるな!ってこと。
自分が否定し、反発し、ろくでもないと揶揄してきた中年や老年の人の様に・・・もし流されるままに年を重ね、考えもせずに生きていたら、同じくなるわ!コレは要注意。
すごくいいこと言う人。クリエイティブで独自の世界観を作り、快刀乱麻、鋭い発言で気持ちの良いと思える人が、その人が歳をとった時になんて発言して、どう生きているかをよく見て考えてほしい。
意外と変わらずにいる人が少ない。そして自分が否定していた大人になってしまっている人も多い。そう言う時そう言うタイプの人は若い人を否定していたり・・・ただ否定したい人?
だからここでも「自己否定」、自分が否定していた道に立った時、その自分を否定して、これはダメだって原点回帰すること、方向転換すること、自分の過ちを素直に認めて生き方を変えること、私はこれが本当の強さだと思う。
そんな大人に私はなりたい。素直で素早く、柔軟でいて折れない、負けない気持ちがありながら、小さい人に寄り添うことができる人に。
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「変わる」こと「変わらない」こと
決意と情熱、意志力と感情
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これは、全くの私の考えなんだけど、
変わろうと変わるまいとそれは、状況や見方や宗教や哲学や人生観などによって千差万別で、どれが正しいなんて言うのは定義できないと思う。ただ、変化の中にしか人間の価値はないと思う。変わらないことで価値を生み出すのは、人間の人生にあまりにも似つかわしくない。
だって、このたかだか100年・・・いや活動や生産という価値の面で言えば、それよりもっと短い時間しか生きることができないし、時によってはそれはあまりにも短い時間で幕を閉じることがある。
でも人生は長さが価値なのではなく、その一瞬をどのように生きたかという密度が価値であり、変化が価値になり得る。と、そう考えると、変わることに価値があり、そしてその変化を継続させるという考えでそこから変えない、リバウンドしない、戻らないってことで、その最高の価値にまで高めるってことではないだろうか?
とちょっと哲学的に書いてみたけど、
要するに、「変わるぞ!」って決意して、熱い情熱を持ち、それを意志の力で継続して始めて自分の感情、喜びや生きがいや生きている実感に至るんだろうってこと。
だから、「気づき」が一番大事。自分が心の底から「ああ!そうだったんだ!」って、仏教でいう悟りを開くみたいな境地に達する必要があって、それは窮地にしか現れない。外見場の窮地の場合もあるけど、精神的な窮地の時もある。だけど、どちらにせよ、「死」という終わりを見つめるときにそれが来やすい感じがするのは私だけだろうか?
ぜひ、有限で短い人の人生の終着点を未遂えて考えてみてほしい。