2023年4月10日 第23回
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「目」を養うことは、日常を非日常にすること
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私たちは日ごろ多くの物を見ている。
今日通勤途中で通った道の小石の数を知っているだろうか?今日通り過ぎた人々の男女の比率は?持っていたバッグはブランド物かそうでないか?そんな溢れる情報を、脳波イチイチ処理していられない。
だから、「興味」という的で絞って情報を獲得するようにできている。
その興味関心が社会人は意図的に変質させられているとしたらどうだろうか?
ニュースを見るとき、新聞を読むとき、スマホの○○ニュースを開く時、
あなたはどこに興味をもって、熟読しているだろうか?その興味関心は本当にあなたの「好きな事」であり、「知りたい」ことですか?それとも「知らなければいけない」といつの間にか刷り込まれていることですか?
そうです。わたしたちはニーズに合わせて自分をカスタマイズするとき、知らないうちにそうあるべきと思いこまされているんです。その相手は・・・と遡っていくと、どこに辿り着くのでしょう?
それは財政や政治、経済の上層部や情報操作を必要とする一部権力者なのか?また、大きなマーケティングの仕掛けであり、トレンドメイキングによるものだったりするかも。
だからどうした?時代の波に逆らうのか?っていうと、そういう事を言いたいんじゃないんです。
そういう風に、いろんなものに流されて、実は見たくもの無いものを見せられて、私たちの心は「感動する」ことを忘れてしまいがちだってことです。
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本当に見なきゃいけないものを
自分の選択で「観る」ことを始めよう!
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このテーマを考える時、私たちは「見よう!」って思わないと、実は見えていないってことに思い至ります。
目から入って、脳で処理されても、本当に考える材料や、自分を変えるきっかけにはならないってことです。それはただの情報であり、すぐに消え去ってしまう影のようなもの・・・
そんな情報の一部として、家族との大事なひとときを、人生を費やす会社での1日を、かけがえのないパートナーとの一瞬を過ごしてしまってはいないだろうか?
散歩をしながら道端の途方もない数の小石を見つめて私はふと考えてしまいました。
・・・と散歩終わりの私は言っているよ。
だから、観るべきものを自分で決めよう。そして意識して穴が開くほど観ることを始めよう。
そうすると、「変化」が見えてくる。この世に存在しているものは須く変化する。その変化は実は大きな時代のうねりや社会の流れ、そして人間の有り様をすぶさに表現してくれていたり・・・いなかったりwww
冗談はさておき、小さな変化や発見から、目が開かれて、今ぶち当たっている現実の如何ともし難い問題の解決のヒントがあったりすることは確か。
だから「目を開こう」そして「見よう!」目の前の全てを。
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機械って人間を真似てる?
それとも、人間が機械の真似をしている?
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この10年を振り返ってみると、「機械と人間」がテーマになっている気がする。
パソコンが発明され(世に出されかな?)、スマートフォンが普及して、多種多様なソフトウェアが注目を集める。そして社会現象となり、社会問題となり、子供達に対する影響が問題視され・・・っていろんなことがあったと思うけれど、結局のところ、人間が作ったものをあれやこれや言い合っている・・・最終的にそれが機械の進化を早めている・・・っていうのは誰かの掌の上で転がされてるのか?って思ってしまうのは私だけ?
昨日、散歩をしていて(またか!?毎日です!)、近くの用水路の中洲から水の中に「ポチャン」って何かが入水して行った。一瞬、ほんの一瞬だけその黒い影が見えて、私の脳内はものすごい速度で、それがなんであったか検索をかけている。カワウソか?ナマズか?影の太さは?陸地から水の中に入ったってことは魚ではない・・・的な感じで。
結局待ってたけれど、二度目にそれを目撃する幸運には会わずに、再び歩き出した私の頭には、全く違うことが問題定義されていたわけです。それは「今の思考回路ってAIの認証システムに似てるかも・・・」ってこと。映ったものをなんであるか判別するために、条件を絞り込み、潰していく感じ、それは機械の思考回路にそっくりだなって。ただ人間の脳には電子回路に匹敵するビッグデータなるものがないから、ヒットしないだけかもしれないけど、考え方は似ている気がする。
そう考えてみると、「本当に人間らしい反応ってなんなのか?」ってことだけど、それは「単純に感動すること」なんだろうなって私は思ってしまう。
朝早起きして、水辺で大きな生き物が水に飛び込むのを見たの!それってあまりみなことだから嬉しくて!って小さな子供は言いそうだ。その単純で心が踊る瞬間を正直に受け止めることができる時、人間はもっと解放された精神になるのかもしれない。
とそんな小難しいことを考えた後、「今日も楽しく感動できる心で生きよう!」って至極単純な結論に達する私は安直なんだろうか?