2023年5月1日 第29回
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「いるよね〜こういう老人!」と言いつつ
自分がそんな大人になっていく現実
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これは反省を含め、自戒を含めて書き残しておきたい。
こんな大人になるべからず!っていうのは、「自分で否定していた大人」になること。
若い時分、いろんな葛藤を持ちながらも、大人と呼ばれる年代の人やベテランと言われる年代の人の否定をしていたのに、いつの間にか自分も同じことをやっている・・・そういう人を何人も見てきた。
はっきり言って「見グサい、醜悪」の一言だ。
だが、これは自分にとっても要注意、強烈に自戒しないと自然のまま、本能のままに生きているとそうなってしまうんだ・・・と最近思わされる。
ある人がいた。私がその話を聞いたのは10代の頃であるが、その時40代の彼は、自分が30代の頃に周囲にいた60代の先駆者の批判を堂々としていた。「老獪は自分の経験が全てと捉えて、場合によっては経験者よりも正確に未来を見通す若者の目を信じようとしない」と彼は語る。自分の正義を押し付けることに執着して、違う価値観を受け入れられない・・・・というようなことも言っていた。
まあ、その通りだとは思うけれど、その彼も60歳を超える頃、若者の話など一切聞かない・・・いや聞かないと言ったら語弊があるだろう。話を聞く事はよく聞くが、事自分の事や自分の方針に関して苦言を呈されるとしたら、激昂するのが関の山という頑固さに落ち着いた。
もっと柔軟に歳を取れないものなのだろうか?それとも人間の脳は老化という現象に対して、平等に頑固になるように作られているのだろうか?
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やめてくれ!と激しく思う!
昔を美化しまくる劣化脳
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自分もそうだと思う。昔のことは美化されて記憶の中から出てくる傾向が確かにある。
だが、どうしてもやめてほしいのは「昔は良かった。昔の人はしっかりやっていた」的な話で、回帰をしようと方向を持っていく人たち。
それ、ほんとにそう思っているの??って言いたくなる。
確かに一部は昔の方が純朴でじっくり取り組んでいた。当たり前と思ってやっていたこともあるだろうと思う。
だけど、例えば老人介護、親の面倒を見ることなど、昔は3世帯で暮らしていて、弱い人は助けてもらえるようになっていた・・・という人!マジか!?
そんな昔に戻るんなら、口減しのための「姨捨山(おばすてやま)」も復活かな?家が食っていけないので、娘を女工にするのかな?売り飛ばす?生まれた子供を親の手で殺めるの?
貧しい時代にはそれなりの苦労もあれば、それがゆえに美しく花開く事柄もある・・・でも「それはそれ!今は今!」だよね!
今の時代は昔と違って女性は奴隷扱いはされない。発言権もあるし、時によっては男性よりも立派であったりする。年寄りはただのお荷物とは思われず、相互扶助のシステムが動いているし、権利もしっかりと確立している。乳児死亡率だってその頃と比べればその進化は計り知れない。
だから、その故の歪みだって、あって当然なのさ。その中で、何ができるかを考えて、未来の介護方法を作り出せばいいと思う。昔を懐かしみ回帰を考える必要なんてないし、それは若い人の意見をしっかり聞いて開発すべき問題だと思うだな。
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なってはいけない人
なるべき人
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いろいろ言ったけど、結局は「カッコイイ大人」になりたいよね。
若い世代から憧れるって言ってもらえるような、どうしたらそうなれるのかと秘訣を聞かれるような大人に。そして分け隔てなく話が出来て、若い人の役に立つ人生を生きてきた人になりたいよ。
だって行く行くは、満足に動けなくなるわけじゃん。
動けない=生産性がない、となったときに出来ることは限られるよね。
そうなってもなお使えるのは、経験則や知恵・知識、ノウハウ、そして洞察だよね。
頭がイカレちゃったら、どうしようもないけれど、頭がはっきりしているなら、話をすることはできるし、聞いてあげることはできるしアドバイスもできる。そんな時最も必要なのが「嫌われない事」じゃないかな。
親になってみて思うことが一つある。
それは、親の目線では経験から先が見えることがあって、それを子供に注意するんだけど、子供は先が全く見えないから、自分の我を通そうとする。そして親の言う事は、より一層聞きたくない。だから止めろと言っている方に余計に行っていしまう・・・こんなことありませんか?
だから、人をホントに動かそうと思ったら、相手に心に受け入れられないといけないってこと。
だから、人に好かれる性質や能力、人間性は人を助けようと思ったとき、とっても大事だと思う。
人に好かれようと媚を売ることはしないけど、本当の意味で人に好まれる人格になりたいと思いながら日々生きていこう!と思う今日この頃。




