2024年3月15日 第40回
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老害 VS ソフト老害
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ある日、80歳オーバーの先人と話をしていたルーク工場長。
これは年寄りと話すと・・・いや私が相手を年寄り扱いしていいものかはおいておいて・・・よくあるあるだが、昔話と「もったいない」話が多い。
そしてこんな話になった「あの機械は・・裏手に置いてあったやつどうした?」ああそれね、捨てました。裏手に建屋を建設したときに邪魔だったから、廃棄処分です。と言いつつ、本当はこの次に、「イヤイヤ廃棄代がいくらかかったかわかってる!?もっと早く捨ててくれればあんなに金かかんなかったんだわ!」と言いたい自分。
さらに続けて「いや〜あれは昔活躍してくれて、あれで稼げていたんだよね・・・」と話す老害。
ここで言い訳しておきますが、この人は老害ではありません。仕事現場で害になってはいないので。ただ、この内容の話をする老人は往々にして老害と言われるってことを伝えたかったんです。
そして、この時大人な対応をしていながらも、自分の心の声が、角度を変えてみると結構「ソフト老害」の域にあるのではないかと思いました。
そうなんです。正論なんですよ私の心の声は。そしてそれは発言すれば相手の老人はぐうの音も出ないでしょう。だって昔活躍した機械を、まだ使えるときに売り払えばお金になったかもしれないのに、後生大事に取っておいたから、お金を払って廃棄するハメになったんだから。勿体無いという価値観は、ときには損を生む時もあるので、慎重に活用方法を考えた方がいい時代なんです。
ただ、この事を言ってしまってはいけないのも事実。
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尊敬すべき人と尊敬する人、
尊敬する側が気をつけること。
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世の中には自然に尊敬できる人がいます。その尊敬は自然に集まり、尊敬する側もしようと思ってするというよりも、心がそういう状態になる。そしてそれを説明する時、尊敬しているという言葉がしっくりくるという状態です。
そして、中には「考えてみると尊敬に値する人」というのもあります。
その中に経営者と老人がいると最近思うんです。
まず経営者からお話ししましょう。「社長になりたい」という人がいます。そういう希望を持ち、会社を設立すること、起業して個人経営する人がいるのは良い事だと思います。ただ、勘違いしてはいけないのは、「社長なんて一瞬でなれる」という事です。今の時代は0円で株式会社が作れます。登記をして定款を作って、役員を決めて・・・本当に数日で会社は設立できるし、自分が株式を持って、代表取締役になるのは本当に一瞬です。
だけど、その会社で誰が働いてくれますか?どんな価値のある仕事をしますか?それは全く別のことです。
会社を引き継ぐ人がいます。平社員から大抜擢されて、会社の経営者になる人がいます。それは非常に大きな決断であり、責任を負うことです。特に不動産を持ち、従業員を抱え、物作りなどをしている会社は重責を負うことになるでしょう。その責任をしっかり背負って、会社を回し、資金を回し、新しいものを生み出し、新しい道を見出す経営者は尊敬に値すると思います。しかしこれは、よくよく考えてみないとわからない功績なのです。
次に老人がいます。
一口に老人と言っても、誰でも歳をとるので尊敬に値しない人もいる・・・そう私も考えてきましたが、実は違うのかもしれないと近頃は考えています。若者から見れば年寄りはただの邪魔者、お荷物に他ならないかもしれないですが、その年まで右葉曲折、困難を乗り越えてきた人も少なくありません。
無条件に老人を尊敬に値すると定義づけはできませんが、それでもその年月生きてきたことに敬意を表したいと思います。その上で、「良い終わり方」をしてほしいと思います。
「終わり良ければすべて良し」という素晴らしい言葉があります。どんなに罪を背負って生きてきても、最後の最後に価値ある生き方をして、たくさんの人に感謝される人は、良い人生だったと言えるでしょう。そのように大事なのは最後に何を成し遂げ、何を残してさっていくか、そしてどうやって去っていくかだと思うのです。
尊敬する側、若い人、先輩を持つ人は、そう言った側面をしっかりと理解して、人の中や裏にある人生のバックグラウンドを掘り起こして考えて、尊敬できるかを決めてほしいと思うんです。無闇に見た目やその場の感情で決めてはいけない・・・これは自戒も込めて。
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ソフト老害を遠ざける
老害化を防ぐ秘訣
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結局老害というものは、年齢ではなく、その在り方なんだろうと思う。
よく吠える犬がいる・・・彼は寂しかったり、気が弱く、ビビリなんですよ。自分を認めてほしいし、相手に怯えている自分を受け入れられない。だから目一杯虚勢を張って吠えまくるんです。弱い犬ほどよく吠えるってやつです。
それと同じなのかもしれません。
若くても、歳をとっても自分の事ばかりに心を奪われて、自分ばかり見つめて「寂しかったり、認めて欲しかったり、自信がない」そんなコンプレクスにも似た感情が人を老害化させるんだろう。
では、どうしたら老害化を防げるのか?
それは究極「無我の境地」だと思う。そんな悟りの世界は無理かもしれないけれど、徹頭徹尾相手のことを考える。相手のためを考え、相手の最適解を死力を尽くして探り出すことに専念する。この専念っていうのが実はポイントなんだと思う。
あるアニメに「全集中・・・〇〇の呼吸」なんてのがある。いい言葉だ。全神経をその一点に集中させる。そんな仕事の仕方、生き方をしている時、自分の評価や自分の価値、自分の存在が大きいか小さいかなんて問題じゃない。問題はその一点の集中によって現状を打開できるかであり、解決できるかであり、一歩踏み出せるかなんだから。
自分ではなく、自分のためじゃなく、「誰かのために専念する」そんな向き合い方ができる自分でいる限り、何歳になっても老害化はしないのではないかな?っていうのが今回の私の見解です。
皆さんはどう思いますか?