人のアドバイスは基本使えない!
「Just do it」しか人は言えない。
アドバイスが悪いわけではない。その内容も然り。
ただ、アドバイスしている人の生きてきた人生と、される側の人生が、全くの別物であるだけだ。そのアドバイスの言葉も放っている人にとっては真実だが、その人生の上に立って初めて成り立つもの。
たとえば、大人はよく子供に「早く寝なさい」とか「片付けなさい」と言いますが、それは睡眠不足でパフォーマンスが発揮できなかったり、交通事故にあいそうになったり、紛失が多いために、探す時間に忙殺される過去があって気付いたこと。それを若手に言ったところで、若い人は多少の睡眠不足は体的に超えられる。あとできつくなるだけなんだ。
そんな風に、自分で気づくしかない。その気付きしか自分にとって価値ある言葉にはなり得ない。
しかし、世の中には、その人の人生を生きることなく「あ!コレは真実だ!」って気付ける、すごい人もいる。そういう人は、一足飛びに成長の階段を上り、人の失敗から学び、新しい荒野を開拓することだろう。稀にいる・・・羨ましい才能だ。
ただ、我々凡人はそんな洞察や慧眼はない。だからやって失敗すればいい。そこで学ぶことが大きいのだから。
見方を変えると「壁」が「扉」になる!
どんな困難なことにも、脱出の道はある。
だけど、誰しもがそれを見つけられるわけではない。ちょっと見方を変えてみて、発見した人だけの特別のギフト。だから、みんなも知って欲しい。物事は一面的じゃない!立体なんだ。だから横からや下から見てみないと本当の姿は見えてこない。特に不安という気持ちは実態がないから、睨めっこしてみるのが必要。
先日見ていた懐かしのドリフの漫才がある。役員室に呼ばれてドアを開けようとノブを引いたり押したりする従業員。どうやっても開かないので、しまいに上下左右にノブをぐりぐり・・・内側から役員が「何やってるんだよ」と言いながら扉の真ん中を開けた。観音開きってわけだ。じゃあなんでノブが付いてるん!?って話だけど、これがまさに見方の問題だ。
人は、これがあるから絶対に~だ。って決めつけている。意味もなくついている取手もあるかもしれない。仕掛けがわかるとマジックも「ふ~ん、それって当たり前だよね?」とかいうけど、種もしかけも分からないときは不思議でどうしようもなく理解できない。人間の思考の構造って実は個人差はあれ度大して変わらないんだよ。と思わされる瞬間だ。
「焦らず急ぐ」が仕事の鉄則
どんな仕事もタラタラやってたら終わらない。
時短が必要だって叫ばれるこのご時世、残業も減らし働き方改革だとか、ワークライフバランスだと言うけれどそれって実際はどうすべきことなのか?って突き詰めると働く人の意識野問題だったりしないだろうか?
家に借りたくない人・・・いつまでも残業だって仕事?みたいなことをしている。それって業務時間内に終わらないの?って私は思う。
やることが山積みで・・・ってその資料数週間前からあるよね?あなたは仕事を一つ一つ終わらさせていますか?中途半端で終了していないのでは?それは業務遂行能力の問題で、配置転換か能力アップが必須では?
本当に休みが必要な人は、バランスが必要な人はむしろ「真面目でうそを付けない責任者」だと思う。会社の経営者であったり、特に中小零細企業の経営者はやろうと思うといくらでも仕事はある。また大きな企業などでも部長級の人は上からも下からも要求がある。特にこの働き方改革のしわ寄せがきてしまうのではないか。こんな真面目で正直な人が割を食うのはおかしい。
だからこそ言いたい。現場で働く人!焦らず急いで仕事しろ!できない仕事は与えられていないはずだし、その能力はあなたには必ずある。決められた時間全力疾走してみよう。そして時が来ればしっかり休めばいいんだ。オンオフは大事にね。
命がけでやるだけやって、それでもどうしてもだめなら死ねばいい
何をするにも不安はつきもの。
考え出すと夜も眠れないこともある。どうしよう・・・やるべきか・・・やらないほうがいいのかな??と考えてても何も始まらないことは周知の事実。
それでもこの言い知れない不安感が人を硬直させるのはだれしも経験があると思う。
そんな時に、「最後は、どうしてもだめなら死ねばいい」と思えば、ホントに心は軽くなる。
自分には守るものがある・・・壊してはいけない・・・責任が・・・
っていうけど、たかだが一人の人間が守れるものって限度があるし、責任ってどこまで持てるものかもわからない。そして何より、悩んで動かないことで守れるはずのものが守れずに、壊れなくていいものが壊れ、助けられる命が失われていくのであれば、軽い気持ちで一歩踏み出すことの方が実は大事。
あなたがいなくなっても変わりはいくらでもいるし、社会は何も変わらない。
それより一歩踏み出してあなたが変わるなら、その方が社会に対して一石を投じることになるんだ。
だから、何をするにも本気で挑むときは「死んでもともと」。人は何時か死を迎えるから。